最近、河合隼雄さんの『ケルトを巡る旅―神話と伝説の地』を読んでいます。
ケルト音楽に興味を持ったことをきっかけに、ケルトの神話や文化についても知りたくなり、手に取った一冊です。
その中で、とても心に残ったのが「自然」という言葉について書かれた部分でした。
「自然」という言葉について考える
私たちは普段、「自然」という言葉を何気なく使っています。
自然を守る。
自然に触れる。
自然の中で過ごす。
こうして使う「自然」は、森や山、川、海、植物や動物など、人間を取り巻く世界を指しています。
けれど、河合隼雄さんの本を読んで、昔の日本では、人間、神、自然を今のようにはっきり分けて考える発想がなかったことを知りました。
「自然」という言葉自体は古くからあり、「じねん」とも読まれ、「おのずからそうなる」「ひとりでにそうなる」という意味で使われてきました。
明治時代になり、西洋から nature という概念が入ってくると、それを表す言葉として「自然」が使われるようになります。
西洋、とりわけキリスト教的な世界観には、創造主である神、人間、そして創造された世界としての自然を区別して捉える考え方があります。
一方、日本では山や川、岩、木などにも神聖なものを感じ、人間もその世界の中で暮らしてきました。
「自然」という一つの言葉の背景に、こんなに大きな世界観の違いがあったことに驚きました。
私たちは今も「自然に」と言っている
本を閉じてから、ふと思いました。
そういえば私たちは、今でも日常の中で「自然」という言葉を別の使い方でよく使っています。
「自然と手が動いた」
「その考えは自然だと思う」
「その振る舞いは自然に見える」
ここでいう自然は、山や森のことではありません。
無理にそうしたわけでも、誰かに言われたわけでもなく、おのずからそうなったという意味です。
昔から使われてきた「自然」の感覚は、今の私たちの言葉の中にも、ちゃんと残っているのですね。
そう思ったら、「自然」といういつも使っている言葉が、急に違って見えてきました。
「人間は自然の一部」という言葉
「人間は自然の一部」
この言葉を、私は以前から何度も聞いたことがあります。
もちろん意味も分かっているつもりでした。
人間も動物であり、地球に生きている生き物の一つ。
そんな意味で受け取っていました。
けれど、今回「自然」という言葉について考えてみて、この言葉がようやく自分の中にすっと入ってきた気がしました。
私たちは「自然に触れたい」と言います。
「自然の中へ行きたい」とも言います。
そう言った瞬間、こちら側に人間がいて、向こう側に自然があるような感じがします。
でも、人間も木も、鳥も虫も、水も風も、同じ世界の中に存在しています。
私たちの身体も、季節や気温、光、食べるもの、眠り、人との関わりによって日々変化しています。
人間もまた、自然の営みの中で生きている存在なのだと思うと、
「人間は自然の一部」
という言葉が、以前よりずっと身近なものに感じられました。
私たちの中にある「おのずから」
そして、もう一つ考えたことがあります。
私たちの日常にも、「おのずから起こること」はたくさんあります。
自然と涙が出た。
自然と足が向いていた。
自然と会話が続いて、気づいたらずいぶん時間が経っていた。
どれも、「そうしよう」と決めて起こしたことではありません。
泣こうと思ったわけでもない。」
そこへ行こうと予定していたわけでもない。
何時間も話そうと決めていたわけでもない。
それでも、自分の中から自然に生まれてきた動きです。
こういうことって、実はとても大切なのではないでしょうか。
タスクに追われていると忘れてしまうこと
毎日の暮らしには、やらなければならないことがたくさんあります。
今日中にこれを終わらせる。
何時までにここへ行く。
次はこれをする。
一つ終わったら、また次へ。
予定を立て、やるべきことをきちんとこなすことは、生活していくために必要なことです。
けれど、タスクで一日がいっぱいになってしまうと、「自然に起こること」が入ってくる余白が少なくなってしまうのかもしれません。
ふと目に留まった花を眺める。
なんとなく気になった本を手に取る。
流れてきた音楽が心に残って、そのまま何曲も聴いてみる。
誰かとの会話が楽しくて、時計を見るのを忘れる。
急に昔のことを思い出す。
どれも予定表には書かれていません。
「今日やること」のリストにも入っていません。
それでも、そんな時間の中に、自分の心が本当に向かっているものが表れることがあります。
予定を立てて動く時間も大切。
そして、おのずから動き出す自分に任せてみる時間も大切。
その両方があることで、毎日の暮らしは少し豊かになるのかもしれません。
今日、私は何を「自然に」しただろう
一日の終わりに、「今日は何ができたかな」と振り返ることはあります。
やろうと思っていたことができれば嬉しいし、できなければ少しがっかりすることもあります。
でも、ときには違う問いを自分に投げかけてみてもいいのかもしれません。
「今日、私は何を自然にしただろう」
自然と笑った。
自然と空を見上げた。
自然と一冊の本を手に取った。
自然と誰かに話しかけた。
自然と涙が出た。
自然と足が向いた。
そこには「できた」「できなかった」では測れない一日があります。
「自然」という言葉について考えていたら、いつの間にか、自分自身の毎日の過ごし方を考えていました。
予定に沿って動く私も私。
そして、理由を考えるより先に、心や身体が自然に動く私も私。
忙しい毎日の中でも、ときどきそんな「自然に」に気づける余白を残しておきたいと思います。
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