子育てをしていると、どうしても他の子と比べてしまうことがあります。
「どうしてあの子はできて、うちの子はできないんだろう」
「勉強しないけれど、このままで大丈夫かな」
「もっとしっかりしてほしい…」
そんな不安や心配が、つい言葉になって出てしまう。
一方で、子ども自身も、同級生を見ながら悩んでしまいます。
「友だちは上手にできているのに」
「自分だけ遅れてる気がする」
「なんで自分はこうなんだろう」
そして、親も子どもも、心のどこかで落ち込んでしまう。
でもね——
実は “比較してしまうこと” 自体は、まったく悪いことではないんです。
むしろ、人間が長い歴史の中で身につけてきた、とても自然な反応なんです。
なぜママは、子どもを比べてしまうのか
比べるとき、ママの心の奥にあるのはいつもたったひとつ。
「幸せに生きてほしい」
この願いだけ。
転ばないように、困らないように、つまずかないように。
未来にあるかもしれない“痛み”を先に避けさせようとする、本能。
だから比べてしまうのは、“愛ゆえの反応”なんです。
比べた自分を責める必要はひとつもありません。
なぜ子どもは、比べて悩んでしまうのか
子どもはまだ「自分の軸」が育ちきっていません。
だから、同級生のできること・できないことが、そのまま心の鏡になります。
- 友だちより遅れている気がする
- 自分だけダメな気がする
- 誰かと比べて心がザワザワする
これらは、成長の過程でとても自然なステップ。
他の誰かと自分を重ねることで、「自分はどうありたいのか」
その姿が少しずつ作られていくんです。
少し深い話 ── 「比較する心」は人類史から続く本能
ここで少しだけ、視点を遠く遠くへ。
何万年も昔の話。
まだ文明もなかったころ。
私たちの祖先は、生きるために常に周りを観察していました。
- あの仲間はどれくらい強い?
- 敵はどれほど危険?
- 自分はどこに立つべき?
- どう動けば生き残れる?
これらすべてが 比較 による判断。
比較は、生存のための“危険察知システム”だったんです。
だから私たちの脳には今でも、比べてしまう回路が標準装備されている。
これ、止めようと思って止められるものじゃないんです。
本能だから。
では、親子はどうすればいい?
鍵は「気持ちの向きをそっと変える」こと。
比較を悪者にしなくていい。
本能を無理に消そうとしなくていい。
大切なのは、“比べてしまったと気づいたあと” の扱い方。
気持ちが他の子へ向いてしまったら、その方向を責めるのではなく、ただそっと、本来向かうべき場所へ向きを変えてあげる。
親の場合
比較して不安になったときは、こう問いかけてみる。
「私は、この子にどんなふうに生きてほしいと願っているんだろう?」
「私は何が不安なんだろう?」
この問いが、本音の方向へ気持ちを戻してくれる。
子どもの場合
子どもが比べて落ち込んだら、
その子の気持ちを一度受け止めたあと、こう聞いてあげる。
「比べて苦しかったね。
ほんとはどうなりたい? どんな自分でいたい?」
これだけで、子どもの心はふっとゆるむ。
比較 → 自己否定
ではなく
比較 → 気づき
へ変わる瞬間。
まとめ ── 比較は本能。
気持ちの向きをそっと変えれば、親子の心は軽くなる。
“比べてしまう”ことは、人間が受け継いできた大切な本能。
だから、親が比べてしまうのも、子どもが悩むのも、全部そのままで自然なこと。
大事なのは、比べたあと、どこへ心を向け直すか。
気持ちの向きをそっと変えるだけで、比較は親子を苦しめるものではなく、“願いに気づくためのサイン” になります。
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